日本語と英語

小学生のSpelling Practiceや会話を聞いていると、言葉を耳で聞いて理解しているのだなとわかる。だから、小学3年生は正確なSpellingが自分よりもできない。自分は英語の言葉を耳で聞くではなく、文字や文章構造を見て、目で視覚的に理解している。会話の時でさえ、頭のなかに文章が出てくる感覚がある。たぶんそれは、英語を「覚えよう」としているから。つまり経験と記憶を繰り返して慣れようとしているということ。

 

これが悪いこととは思わないが、物事の理解力や説明力が比較的苦手なひとほど、文字を「覚えよう」としがちなのではないかと思う。

 

ここから先の仮説はいろいろ浮かぶのだが、脳科学とか幼少期からの読書の大事さの話になってくるので、今は突っ込まない。

 

しかしすごい思う。子供の言語教育は大事だ。脳の構造とリンクしている。

英語環境で育つ子供は、耳から言葉を聞いて「会話っぽい言語」として英語を習得していく。

 

日本語環境で育つ子供は、より目で文字を見て「文字っぽい言語」として日本語を習得するのかもしれない。

 

どちらもコミュニケーションツールとしての「言語」という意味で用いている。

 

漢字って音読みと訓読みがある。

訓読みのほうが初めて聞く単語でも意味を理解しやすいのは、発せられる音が意味を持っているから。

熟語に使われる音読みは、単体で発せられる音を聞くだけでは、その意味を理解できない。視覚的に、その漢字の読み方を文字にして「覚える」ところから始めるしかない。

 

日本語を0から習得した外国のひとたちは、「記憶力」が優れているのかもしれない。

そしてこの先、漫才などの日本のお笑いの文化と話が絡まる。なぜ言語能力の高い人の話を、面白いと感じるのか。なぜ面白い人の話は面白いのか。言語を「覚えよう」と、経験と記憶を繰り返しているだけでは決して辿り着けない領域の、言語表現力の賜物だと思う。もう一段階上級の言語文化を日本は育んでいる。

 

 

何よりも、もっと自分の耳を信じて英会話もできたら、もっと楽しいのかもしれない。